からだの周波数 4

呼吸は宇宙とつながる手段です。


呼吸がなければ意識もありません。


呼吸は肉体の組織づくりをし、修復し、からだにとって必要なものと不要なものとのバランスを維持しています。


食物がなくても何週間かは生きられ、水がなくても2、3日は生きられますが、空気がなければ数分しか生きられないという事実は、呼吸の決定的な重要性を示しています。


深い眠りや麻酔薬で意識を手放すことはできても、生きているかぎり、呼吸をとめることはできません。


忘れていても勝手におこなわれ、通常の意識からは独立しているにもかかわらず、呼吸はこころにつながる唯一の重要な生理機能です。


ほかの生理機能は、消化にしても心臓の拍動にしても、血液の循環、神経エネルギーの流れ、吸収や分泌にしても、意思によってコントロールすることはほとんどできません。


・・・ところが、呼吸だけは別です。


意識しなくても呼吸はおこなわれますが、深呼吸をしようと思えばそれもできます。


・・・ということは、意識的に呼吸をおこなえば、もっと多くの生命力をからだのなかにいれることができるということを意味しています。


からだの周波数 3

瞑想しているとき、人はこころが静まり、内部のリズムに気づくことができます。


しかし、瞑想を習慣にしようという人はあまり多くありません。


自分の波動を知るためのもうひとつの方法が、すぐれたオステオパシー医に診てもらうことであるのはいうまでもありません。


・・・さて、人はパンだけで生きているわけではありません。


呼吸によっても生きています。


パンは腹にはいって血や肉にエネルギーをあたえ、息は胸にはいって神経系に栄養をあたえます。


いのちは呼吸に支配されています。


生まれるときに最初の息を吐き、死ぬときに最後の息を吸います。


食物の消化サイクルは約24時間です。


からだにはいり、消化されて、でていくまでにそれだけかかるのです。


・・・呼吸、つまり空気の消化サイクルは、約3秒です。

からだの周波数 2

周波数が低い人はフットボールや重量挙げのようなスポーツの分野で成功する可能性があります。


しかし、周波数が中程度の人のからだはそれよりデリケートで、頭脳労働向きであり、思考力にすぐれています。


直観力にすぐれた人のからだは周波数が高いのです。


周波数が高くなればなるほど、霊的な境地が高くなります。


わたしはいつも、からだがスポーツ向きだったらスポーツをすればいいと、子どもの患者にいい聞かせています。


スポーツ向きではないのに激しいスポーツをしたがる人がいるのは解せないことです。


じゅうぶんに振動していれば、その人は健康です。


ふだんよりも振動の比率が少なくなれば、なんらかの病気が進行していると考えなければなりません。


自分のからだの最適の振動率に気づいている人がほとんどいないのは残念なことです。


・・・いつも思うのですが、それを知るのに最高の方法は瞑想です。


からだの周波数

このあいだ、プロのゴルファーをめざしている若い女性を診ました。


とても才能のある人でしたが、ある日、スイング中に手首を傷めてしまい、痛みがどうしても消えないといいます。


例によって、医者めぐりをしたあげく、わたしのところにきました。


・・・さわってみると、肩から手にかけて全体に、ひっかかるような感じがありました。


波動が感じられず、筋肉組織のなにかに異常があることがわかりました。


そこで治療台に座らせて、ちょっとした手技を加え、生命力のブロックをとりのぞいて、手首にまで流れるようにしました。


その人はほどなくゴルフの試合に復帰しました。


すべての人のからだはその人固有の周波数で振動しています。


ヴァレリー・ハント博士の研究によれば、その固有の周波数はからだの潜在能力の指標でもあるといいます。


全体状況から射るべき"的"を捉える

問題に直面したとき、H型ではどう動くか・・・。


第一は、状況の事実から発想していくことです。


その第一段階は、生々しい全体状況の再現です。


第二段階は、全体状況の中から対象を捉えること。


そして第3段階が、対象への対応です。


言い換えれば、第1、2段階が対象の研究であり、第3段階が対象の研究と実行です。


念のため時間について記せば、その多くを第3段階に費やすことは言うまでもありません。


物事はすべて、主体と客体の相互関係で成り立っており、問題はこの関係において生じる。


ここで言う「主体」とは、自分あるいは自分たち側という意味です。


対応するのは主体ですが、その対象は客体です。


したがって、射るべき"的"は、客体の中に存在しています。

子どもが子どもから始末書をとる 2

ところがその間に、ストア担当のサービスセンターの子どもがそれを見つけてしまったのです。


この学校のサービスセンターのほとんどは、先輩の子どもたちによって運営されています。


平凡なかたちでの一件落着かに見えました。


・・・ところがです。


後で知ったのですが、ストア担当の子どもたちが・金券を紛失した子どもを呼びつけ、始末書を書かせていたのです。


しかも、最初に書いた「ごめんなさい。金かえせ」というのでは反省が足りなくて気にいらないと、何回も書き直しを命じていたというのです。


・・・このとき、なるほどと思いました。


世間一般では、人の処罰によって問題の片をつけています。


したがって、人間のこととして問題を捉えなければ、始末がつかないようになっているということです。


子どもたちはいつの間にか、世間のこのやりかたを身につけてしまっていたわけです。

子どもが子どもから始末書をとる

あるデパートに「がんばれ達磨」が売られているそうです。


「がんばれ!やればできる!」と大声を出すようになっているそうです。


さて、子どもの世界も例外ではない、チームワーク学校での例を紹介しましょう。


子どもたちは、ホームと呼ばれる8人くらいの小集団を編成して、その中ですべての行動を共にしています。


ホームには一定の金券が渡されていて、子どもたちはやりくりしながら、ここでの活動と生活に必要なものをサービスセンター内のストアから調達するのですが、あるホームの"大蔵大臣"が、ホームの金券をすべて紛失してしまうという事件が発生しました。


この種の問題発生は、リーダーにとっては絶好のチャンスです。


ホームの全員が否応なく、切迫した生々しい状況におかれるからです。


なにしろ、金券が出てこなければ何も買えません。


食糧も手に入りません。


すぐさまホームの全員によって、紛失をめぐる状況の再現が開始されました。

正しい反省

石につまずいて転んでしまってから、あっ、不注意だったと、はじめて意識されるものです。


俺はいま先入観を持ってやっているよ、不注意で歩いているよ、という人間はいません。


自他の別はともかく、その後に何が行われるか・・・。


「反省」と言われるものです。


ここにいたって、自他ともに許し、納得して一件落着となります。


多くの職場において、何かやった後には必ず反省会をやるように定型化されています。


己を省みることを否定するものではありませんが、現状のそれは、問題を情念の世界に持ち込んで、そこでうやむやに清算していくという結果になってはいないでしょうか。


反省の次はどうなるでしょうか。


「がんばれ!」です。

変革の主体としての農家 4

従来の農民組織はいらないかというと決してそうではありません。


逆にあまりに生産に着目して生産を中心に組織していくという理論もあるわけですが・・・


例えば複合農業でいけば経済論理だけでやっていけるとこうなりますと経済主義的なものに組み込まれ、変革の主体にはならないでしょう。


抵抗組織としてあるということは認めますが、しかしそれが変革の主体になりうるということではありません。


やはり一定程度のイデオロギー性、政治性は必要です。


したがって、旧来の農民組織を解体していいということではなく、旧来の運動組織も含めてそういった運動が展望されるのが効果的である、と思います。


それと対抗しうるのに農協の組織があるが、全農などは農民収奪ということをやっているわけです。


・・・しかし、地域の単協の段階にきますとそうではなくて、かえって単協自体が全農ないしは全中に収奪されているという関係、つまり断えず貯金の割り当て、共済の割り当てなどがいつも押しつけられてきています。


そのために営農指導員すら置けない、あるいは営農指導員が営農の指導ができずに共済の掛け金を取ってまわる、というために使われているのが実情としてあるわけです。


変革の主体としての農家 3

今の農民というのは、農協もそうですが、組織の中に取り込まられてしまっていてその中で何かしようと思っても組織的な力で押しつぶされてしまうでしょう。


つまり、問題意識があってもそれが消し去られるような組織構造にあって、部落強制というものもそういうときに大分働いているわけです。


そういう意味でそういった農家層というものをとらえる、または創り出す必要があるでしょう。


そして、それを変革の主体にしていくという考え方からすれば、大農・中農・小農といった問題ではなく、まったく別の観点からする農民の新しい位置づけである、ということです。


現状ですと、マルクス農業経済学の中でも、農民でない者は切り捨てるべきであるというような考え方が現実に出てきて議論されているわけです。


すなわち、3反歩未満はもう農家でないとか、あるいは5反歩未満は農家じゃないとか、ということがマルクス経済学の中からも出ています。


もちろん、敵の理論からすればそんなことは前から言っていることなわけですが、今や理論戦線ではそこまできてしまっています。


そこでこれからの運動を生み出していく核となる部分が理論的に消し去られるというところまできています。


それに対する新しい理論、フレームワークを作って、そういった農民を核にするような理論形成が必要だと思うわけです。


そのように考えていくと、旧来の農民組織との関係が問題になるのです。